滑らかな生クリームの下熱いコーヒーは渦巻く

あらやだおいしい。久しぶりのコーヒーカップで飲むウインナーコーヒー最高。

最近カフェライフ控えめにしてるから感動ひとしおだ。

家で飲めばお金かからなくてそれはそれで最高だけど、ジャズは流れないし、知らないみんなのお茶時のお喋りを聞くことできないし、自分の心はひとりぼっちにならないし、やっぱりこの豊かな時間は外だから生まれるんだな。

私は最近もあいかわらず毎日毎日ものすごく色々たくさんのことを考えている。

でも昔みたいに一人DJ(インマイハートのラジオ局)してるみたいぺちゃくちゃSNSやブログに書き綴れなくなってしまった。

時々または度々、私は放送事故を起こしては人に怒られることがあり(台本なしに喋るため)、それで自信喪失からのへっぴり腰の及び腰になり、もう4年は経ってしまった。

書くと心は整理されて、頭はスッとしてくる。現実世界を元気に生きるにあたり、ネットの中でどう振る舞うかとても大切だと思っている。

インスタで写真載せて友達できたりしているマイ夫(二代目)、私も昔は暗黒の鬱病時代はインスタに写真を載せるたい思いが布団から起き上がる強いモチベーションになった。ありがたかった。

最近まあまあ煮詰まり中。昔よりすっかりすっごく幸せな生活を手に入れて愛する人に毎日触り放題の日々。

もっと力強い人間になるよう、また書いて不安の泡をつぶしていこうかな。いけるといいな。

 

 

10年たってオーイエス!千葉に行けるようになったよ

幕張に行った。そこは千葉だった。

私は自分の意思でずっと大嫌いで怖かった地に立ち入り、おまけに2泊も滞在した。

大人になったのかな。大人になったのかも。

時間のおかげなんだろうか。新しい男が夫になったパワーなのだろうか。わからないけど、辛かった記憶は忘れなくても体感した生々しいおぞましさは忘れてきてるっぽい。

もうふた駅も乗れば、あの娘の生まれ育った町だなんて、ずっと暮らしてきて彼女にコンフォートと郷愁を惜しみなく与えるであろう土地だなんて。

信じられない。

そんな完全に彼女の陣地に自分から足を踏み入れるなんて私ってすごすぎる。

 

前の夫が私の元イマジナリーフレンドに会いに千葉駅まで胸わくわく股間むくむくさせて出発したのは、もうだいたい10年も前。私はその事実が嫌すぎて、本人は「友達」として「友達」として会いにいくのに、いかがわしい想像で頭をいっぱいにして嫉妬をしてくる私はなんていやらしくてみにくいんだ!と怒って、私の頭をげんこつで殴った。

痛え!て、おいちょっと待てよ。あたいはばかだけどそこまでばかでもないよ。おめえはイマジナリーガールフレンドを獲得する直前だと信じてやまず、ハヤる気持ちを抑えられなかったじゃねえか。全部はみ出てんだよ。全部にじみ出てんだよ。

自分の配偶者が、よその異性、それも自分が初めてインターネッツで仲良くなった日本人の女の子と私抜きでデートするとか言って、それをおっけーおっけーいってらっしゃい!と笑顔で送り出せる女なんてこの世に存在するのかな。

私は辛くて辛くてふて寝を決め込んでたけど、その事実にどんどん心が殺されそうになってきて、今この時、この瞬間に、新しい恋が始まるだろうことに発狂するしかない気持ちで、何を思ったか、横浜のアウトレット(新杉田からモノレールに乗っていく)に出発してしまった。

その年のお正月、彼と一緒に渋谷のトゥモローランドで一緒に見たひとめぼれしたフライドポテト柄のストールは定価で4万円くらいして買えなかった。今思えば彼はエクスペディアの広告部門シニアソフトウエアエンジニーアだったんだから全然買えたはずだけど、私の金銭感覚は家の仕事を手伝って獲る月五万生活プラスおばあちゃんがまだくれる月一万のお小遣いでやりくりしてた時代のままだったから、そんな首巻きなんかにそんな値段出せなかった。

彼に彼女のことを告白れる前日だろうか。御殿場の友達に私は会いに行き待ち合わせ場所であったアウトレットでそれの他の柄のシェイク柄やハンバーガー柄の物が安く売られているのを見つけてしまった。

フライドポテト柄はなかった。でも、ふと新杉田のアウトレットにあるかもしれないと思った。ないかもしれないけど、もしあったら、私は多分生き残る。私は多分この苦難に負けないはずと謎に思い込み、フラフラのまま京浜東北線に飛び乗った。

すごい道中だった。途中で中学生のアイドルの卵みたいなかわいい女の子たちが乗ってきた。一人、また一人と降りて行き、一番素敵な女の子が座席に一人になった。すると、すごいすごい。全く混んでいない車内で大人の男たちが不自然に彼女の前に立って吊り革ぶらぶらさせたり隣に座って寝たふりをして彼女にもたれかかったりし始めた。私は顎変形症(顎関節症ですらない)であまり開かないはずの元からとってもおちょぼ口の口をぽかんと開けてずっと見ていた。

女の子は自分の魅力に気づいているらしく、自分から挑発してるのでは?という節もあった。寝たふりの大人の男にまんざらでもないのか自分も寝たふりでその男にもたれかかり、まるでドラマ高校教師の最終回の最後のシーンみたいになってた。小指と小指に赤い糸が結ばれてるのかと思ったよね。

新杉田は想像よりすんごく遠くて、モノレールに乗った時にはもう日暮れていた。11月の20日頃だったし。乗り換える時、都内ではあんまり見なくなっていたシュークリームのヒロタを見つけて、あ!ヒロタだ!と思ったのを覚えている。

ねるとん紅鯨団の呪録でもされてたかのような、風間トオルが肩からセーターを下げてポーズを取ったかのような、取ってつけたかのようなマリーナ風情漂う寂れた小さなアウトレットに着いて、心はさらに暗くなった。

一目散にトゥモローランドに駆け込むも、フライドポテト柄はなかった。あるのは同じシリーズのショッキングピンクのシルクのスカーフ、柄はナイフ柄のだけだった。

あははは、うふふふ、せっかくこんな僻地まで来たのに、私ってばか。売ってないってことは私の今後は負け一本。

辛い気持ちで、イギリスのお茶やお菓子を売っているお店で、成城石井では高すぎて手が出ないチャールズ皇太子(当時)がやってるオーガニックのビスケット屋のビスケット一箱だけ買う。

 

と、まあ千葉がそんなこんなで無理になってしまって、この10年ずっとふなっしーに中指立てたい気持ちで生きてきたのです。

だから自分から千葉に行ったのが自分としては感無量で涙が出ちゃうんです。

 

 

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アメリカンを飲み干し立ち上がる

春らんまん、夕暮れ時の商店街にあるヴェローチェは空いてて気ままでいい感じ。

今にまたすぐ眉間に皺を寄せ陽気に文句を言う日々が戻ってくる。今だけの贅沢。暑くもなく寒くもない気候。

シアトルはだいたいいつも暑くなく涼しい気候だった。秋から冬、春の始めまでは鬱々とした雨の天気だけど、夏は太陽がまぶしいのに湿気がなく空気の粒子がキラキラと透き通って見えた。美しくてよく涙が出た。

東京で風に吹かれただけで感動なんてしないけどまあ大丈夫。いつでも駅前の銀だこのたこやきはガリガリしてておいしいし。(向こうでは日系スーパーUWAJIMAYAに置いてある冷凍のふにゃふにゃしたものしかありつけなくて辛かった。それも結構高級品で度々は買えなくてさらに辛かった)

この三年間、私はなぜか言葉を失い文章を書けなかった。ずっと書いて精神の健康を保ちついでに肉体の方の健康まで底上げることを目論み、ぺちゃくちゃ書いていたのにできなくなってしまった。

私の文章、文法、言葉遣い、構成、順番、どれをとってもオリジナル。変。間違ってる。

でも最近の世間では、正しさを一番に求められて少しでもはみ出たら「オノレ無礼者、一生落伍者として落武者余生を生きたまえ!」と、知らない誰かたち(たぶん人間、たぶん日本人)に言われまくってしまう。

…おお、いやだ。私は無理。自分が正しいとか普通とか思ったことないもの。口開けば怒られるに決まってそう。

そう思うと筆は鈍る。滑らない。

あと、ほらサリンジャーサリンジャーと名乗る方にこてんぱんにやられたことが、恥ずかしいけどまだ忘れられず、全然立ち直れていない。

顔も名前もわからない人が悪意満タン出してきてその矛先が私に注いできたときの怖さったらなかった。

きっかけはいつもの私のおっちょこちょいのせい。それは反省しているし直接迷惑掛けた方にはすぐに謝った。

しかしその一件は、おそらくアイホン越しにそのやりとりを眺めていたサリンジャーサリンジャーさんのツボに入ってしまった。

ああ、もう6時半。帰って夕飯の支度しなくちゃ。

とりあえずここまで。

もう死ぬまで見られないあの”一人は三人のために、三人は一人のために “

ミルクレープに黒糖がかかってるなんてそりゃ食べてしまうじゃないか。

しかし王道のおやつは"普通"の味が結局一番。黒糖味なんてただの邪道だ。一口食べて後悔するけどどうせ"普通"は売り切れていた。

まあいいや、知見は広がったから。

夢で細野さんと坂本さんのトークショーを会場で観てる夢見る。恵比寿の文化的な文化センター風な場所の中庭で。

ねえ、坂本龍一死んじゃったってよ。

ついこの間まで生きてる彼に生きてる私たちが触れる機会たくさんあった。新譜、コンサート、ラジオ、テレビ、雑誌、文章、SNS等等等。

生まれてからそれが普通だったから、今じゃなくても次でいいかな?今までのようにこれからもまたあるに決まってると、傲慢な態度で信じて疑わなかった。

細野晴臣、2006年、青山カイにて、クリスマスライブ、整理番号2番にドタキャンキメた己の愚行、蛮行にに叫んで泣いて後悔する日はきっとこれから来る。

さらに前、2003年1月だっただろうか。今はなき渋谷Ax(またはaX)でのスケッチショウのライブ、私が観たのは坂本さんがゲストで出てこない回だった。だから私は彼らを"一人は三人のために、三人は一人のために"状態で見なかった。

う〜ん、ワールドハピネス?炎天下無理…パブリック簡易男女共同おトイレまじ無理…また今度!なんてなまけてなまけて生きてきてしまった結果、私は彼らに間に合わないままこの人生を終えることになってしまった。

時は金なり。響いて無情なのは鐘の方。

 

新しい私の地元は古い友達の故郷

あの子が言ってたことはこれだったんだ

あの子が見てたものはこれだったんだ

新規オープンとともにあの子がバイトに入った荏原町のマックは

貫禄のあるマックになった末去年閉店したよ

 

過去の私が電車から見ていた景色の先に今の私が立って歩いてる

横や上を通りすぎてゆく電車に手を振るよ

ほらあそこに座ってるのはあの日の私

こっちに気づいて こっちを見てよ

だけどあっという間に電車は大井町に向かって行ってしまう

 

未来人が伝えてあげられればよかったんだ

未来人、もっと声がでっかければよかったんだ

あなたは10代でまだ若いのに

まだなにも終わってなんかいないのに

どうしてそんなに悲しく俯いているの

友達たくさんいて素敵ね

今ある幸せはいつか消えてなくなるから

そこでそのままその形でもっといっぱい笑って暮らしてなよ

 

あの子はここを去って土佐に嫁に行ったよ

25で結婚、30までに二人産む夢を叶えたあの子は立派だけど

41で離婚、41で二度目の結婚した私だって結構おつなもんだよ

 

あの頃のあの子は知らない

あの頃の私も知らない

今のあの子も知らない

今のあなたも知らない

 

 

 

 

 

 

 

そこに もう いない 

あなたに 私 あばずれ じゃなかった たしか ズベ公 って

ツイッターで あなたの あなたのバンドの名前 と あなたの名前と

ともに 書きつらねた 長い 長い 1400字(たぶん)の メッセージの中で

思い が あまって 叫んでしまった こと

 

 

私はずっと悔やんでいるずっとずっとずっとずっといまでもいつでも思い出したときはずっと ずっとずっとずっと (なやましい)

 

あら 反省 して 改心 するなんて

私 ずいぶんといい人 まあ ね いや ぜんぜん 私 私は よくない人

すごくすごく 悪い 女人間

あなた の ために じゃ ない 自分が そんな 汚い 言葉を 口から 出して

スマホに 叩き つけたの が 恥ずかしく て どうやって 知らない ふり をして

真人間 として 生きて いけ と 言うの

 

被害者ぶりっ子は今日も無敵の加害者

素敵ね素敵よ素敵なんだから

私の負った傷見なさいよ

赤い血がどくどくどくどく流れたまま

茶色いかさぶたはいじってまた赤くする

あなたと世界にわからせるため

私が世界で一番かわいそうなことを

 

あなたはそんなつもりなかったんだから

私は被害者なんかじゃなかった

あなたが恋に多忙でも

私には知ったことじゃなかった

本当にごめんなさい

本当にごめんなさい

どう私のことを忘れてください

 

私は ふくつ の 精神 とやらで そこを 去った

だから 私は もう そこには いない いない いないの

ちょっと さみしい ちょっと 悲しい

でも 私は そこには いないから 

さようならさようなら

どうかずっと元気でね

 

 

昨日の天丼まいう

昨日の武蔵小山は師走のような賑わいで人々が芋洗いになっていた。

ホビーオフ、ハードオフ、モードオフ、ブックオフなどを冷やかす。

いつものマスクの安売り屋で真剣に吟味してショコラ色のやつと母親のお気に入り、小さめのピンク色のを買う。合計330円也。

昭和が佇むホームセンターマルセイで旦那さんはベニカエックスネクストを買う。私はゴミ箱コーナーをじっと見る。

セカストで服売る人たちが列を作っていた。待ち時間3時間と言われている。棚もちょうど衣替えの季節だからかみちみちに服がかかっている。たまに、おお!おおおおお!という出会いがあるから、DCブランド古着店へのパトロールはやめられない。最近の素人セドリたちの存在やぴーちくぱーちく外国語でやかましくしてる人たちに辟易してたまにやめたくなるけど、奇跡は向こうからは歩いてこないから。